「泳ぐということ」
スイミングクラブに通って一年近くなるお母さんが貴重な体験を話してくださいました。
過食症の娘さんに
「私のことでお母さんが辛い顔や苦しんでいる顔なんか見たくない。私はお母さんがお母さん自身のことでいつも楽しくやっている顔が見たいだけだ」
と言われたのをきっかけにご自分の楽しみたいことは何だろうと考えた末、始められた水泳でした。
「スイミングクラブに通ってもうすぐ1年になります。初めは娘が苦しんでいるのに私だけが楽しんでいいのかと思っていました。でも、狭い家庭の中だけの会話に私が外で泳いできた話題が加わるようになってくると、家の中が少しずつ明るくなってきました。私の表情が明るくなってきたのでしょうね。全くのかなづちの私が一念発起して泳ごうとしているのですから、家族からしてみれば面白い話だったかもしれません。
目標は25メートル泳ぐことでしたが、これがなかなか泳げません。そんな泳げない話も、息ができずに立ってばかりいる話も、たった5メートル泳げた時のウキウキした話も娘との会話の中に入ってきました。泳げずに凹んでいるときは逆に娘にはっぱをかけられたりして、病んでいる娘に言われているのですが、それがとても嬉しかったりして…
そしてここ最近やっと25メートル泳ぐことができるようになったのです。これで5回泳げました。その5回目にして感じたことがあります。
泳いでいる時に息つぎができずに苦しくなってくると、また立つんじゃないか、また泳げないんじゃないか、苦しい、もうダメだ、苦しい…となって立ちます。あっ、やっぱりダメだ。私はダメなんだ。いくら何をやっても泳げないんだ。無理なんだ。と思ってしまいます。
それがずっと続いて気持ちももがきながらでしたが、それでもその中にいると、ある時ふとした拍子に泳ぐことができたのです。自分でもビックリしました。できた…
でもまた次の時は泳げずに、苦しい、ダメだ、また立った…
それでもやっているうちに5回ほど(1日に1回です)25メートルを泳ぐことが出来たときに感じたことがあります。
娘の今もこんな感じなのかもしれないと。
泳ぎながら、苦しい、また立つ、まだダメだ、無理だと思いながら泳いでいるときはゴールには着きません。
それが不思議なことに、あー苦しくなってきた。苦しいけどまぁこんなもんだ。あー何とかここまできた。もう少しだ。もしかしたら大丈夫かもしれない。ゴールまで行けるかもしれない…泳げた…
大袈裟だけど人生もそうなのかなって思いました。
ダメだ、無理だ、と思いながらやっているときは苦しいし泳げない。でも、大丈夫、こんなもんだ、いけるかもしれないと思った時は泳げます。
人生も苦しくて不安の中にいるときはもがいているけれど、それが少しずつ大丈夫と安心に変わっていくと自分に自信がついてくるのではないだろうか。
そうして、できるかもしれない、やってみよう。になり、変化していくのだろう。
そんなことを感じました」
身近なことを通して、とても大切なことに気づかれたと思います。その心の底からの気づきが、娘さんのことをまるごと受け入れて、娘さんの気持ちに共感しながら寄り添っていけることに繋がると思います。
その母親からの無償の愛を感じながら、病んでいる氷のように冷たく固くなった娘さんの心が少しずつ溶けていくのです。
更新日:2021.08.31