妙音講とは
「長岡瞽女」は、かつて中越地方一帯から下越地方の南部にかけて、分散、居住していた瞽女の仲間集団です。組織の本部支配所が長岡にあったので、そのように呼ばれていました。明治の中ごろには、400人以上の瞽女がおり、日本最大の瞽女集団を形成しました。
その長岡瞽女の瞽女頭・山本ゴイの住まいである大工町の「瞽女屋敷」で毎年旧暦3月7日、新暦になって4月17日に瞽女本尊弁才天を祭る妙音講が毎年開かれていました。たとえ、遠くに旅に出ていようと、前日までには帰ってきて、この妙音講に参加することが義務づけられていました。その儀式を「瞽女唄ネットワーク」が主催して、平成8年5月、唯敬寺を会場に50年ぶりに再現し復活して以降、毎年行われています。
当日は、部屋部屋を開け放ち、みんなが参集するなか、山本家菩提寺の唯敬寺の住職を招いて仏壇にお経を上げてもらい、そのあと、「瞽女御条目」を誦んでもらいます。瞽女はみな頭をさげて聞いたものです。
「瞽女御条目」は、瞽女仲間に伝えられてきた巻物。瞽女の元祖は嵯峨天皇の皇女相模宮姫だとする瞽女縁起や瞽女の守るべき規約、掟などを書いた式目(条目)が書かれています。(左の御条目朗誦の写真を参照。下のリンクから三条ご住職の朗々とした、当時をしのばせる厳かな御条目朗誦を是非お聴きください。)
瞽女屋の妙音講では、唯敬寺御住職が瞽女頭山本ゴイを祭る仏壇にお経をあげてお参りし、そのあと山本ゴイとオモダチ(重立)の師匠たち4~5人が紋付を着て、三味線を揃えて京唄(地唄)の長唄ものの「桜づくし」と「行く春」の2曲を弁天様に奉納しました。昼のお斎のあと、若い瞽女達が自慢の唄を歌って競いました。唯敬寺を会場にして復活した妙音講は「桜づくし」を奉納しています。この曲は江戸前期の地唄(上方唄・京唄)の演奏家・作曲家で長唄の創始者として江戸で活躍した佐山検校(-1694)の元禄時代の作品です。
妙音講が桜の花の咲く頃行われたので、この曲が選ばれたようです。桜づくめの文句で、多様多彩な桜の名前がたくさん出てくるめでたい唄です。
今は、この「桜づくし」の他、葛の葉会の皆さんの自慢の唄を披露しています。
平成26年妙音講をクリックして頂ければ、そのライブ録音を聴くことができます。是非、お楽しみください。