先日、新潟市でひとつの本屋がシャッターを下ろしました(http://www.asahi.com/amp/articles/ASJC54HL3JC5UOHB00D.html)(https://www.facebook.com/tsurubks/?fref=ts)。
最終日には閉店を惜しむ人が何十人も来店し、店内はお正月セールの百貨店のように。私はその本屋にインターンシップのようなかたちで約一年半の期間、どっぷりと関わらせて頂いただけに最終日の様子には感慨深いものがありました。
その本屋は「普通の本屋」とはちょっと違う部分が随所にあります。お客さんとスタッフの境目が曖昧で全員参加空間づくりが試みられていたり、大人数が少しずつ負担して運営資金を下支えしていたり・・・。
その場にいた頃はまったく意識していませんでしたが、いまになって思うとそれは正に市民活動、ひいては市民協働の最前線でした。
「欲しいものはつくってしまおう」の精神でときに様々な主体を巻き込みながら事業を続け、結果的に「市民活動」と呼ばれる姿に行き着くというプロセスはすごく自然ではないでしょうか。その場の本人たちは誰ひとり「市民活動やるぜ!」なんて思ってはいないのですが、結果的にそうなっていました。
社会のレベルで見ても同様に、市民活動が盛んと言われている地域の住民は、別に「市民活動で盛り上げるぜ!」とは思ってないような気がします。おそらく、誰かのちょっとしたアイディアをサポートしたり、「なにかしたい!」という声が発しやすかったりと、結果的に市民活動が盛んな地域となるに必要な風土や雰囲気が、長い年月をかけて徐々に醸成されたのだと思います。市民活動はちょっとやそっとでは根づかない文化です。枝葉の揺れに必要以上に敏感にならずにじっくりと根の部分を育て、結果的に長岡でもっと市民活動が巻き起これば素敵に思います。
NPO法人市民協働ネットワーク長岡 池戸煕邦