2017.05.30

【今日どう?通信】「”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界」と協働について(池戸)

つい先日、インターネット界隈ではこの記事に多くの注目が集まっていました。

・「ザッカーバーグのハーバード卒業式スピーチが感動的だったので日本語訳した。」

https://keizokuramoto.blogspot.jp/2017/05/blog-post_74.html

Facebookを立ち上げたザッカーバーグ氏が母校の大学で行った卒業式スピーチ。その内容があまりに時勢を捉えていたため、多くの共感が寄せられていたのです。スピーチの内容を要約すると次の通りです。

 

―――個人が感じる何かへの目的意識というのは「僕ら一人ひとりが、小さな自分以上の何かの一部だと感じられる感覚のこと」であり、暮らしのなかで幸福感を感じるには欠かせない要素である。以前までの社会では、仕事や宗教、会社が目的感を個人に与えていたが、時代の変化によりそれらから目的感を受け取ることが難しくなり、多くの人が空白感を抱いている。だから今こそ、「”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界を創り出すこと」が急務である。―――

共感する人も多いのではないでしょうか。その世界を創る具体的な3つの方法もスピーチ内で述べているので、気になった方は全文をご覧になってみてください。

 

さて、「誰もが目的感を持てるように・・・」というメッセージは以前にどこかで聞いた覚えがあります。

―――私たち長岡市民は、一人ひとりが協働の主役としての役割を担い、お互いが支え合い、つながり合う「笑顔いきいき・協働のまち長岡」を実現するために、ここに長岡市市民協働条例を制定します。―――

これは長岡市が市民協働の考えを約束した、長岡市市民協働条例の前文の一文です。

http://www.city.nagaoka.niigata.jp/shisei/cate01/shimin-kyodo/file/jyourei.pdf

 

それっぽくないですか? 一人ひとりが協働の主役として役割を担うとは言い換えると、“協働”という大きなテーマに対し各々の立場から、一人ひとりが自分なりの目的意識を抱き取り組むということ。長岡市がここでいう「市民」とは個人はもちろん、市民活動団体から地域コミュニティさらには事業者までも含みますから、それら長岡市を構成する主体が「笑顔いきいき・協働のまち長岡」の実現を共通目標に一体となって取り組みましょうということです。

長岡市はザッカーバーグ氏の言うところの「”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界」を理念的にはしっかりと捉えているように思います。ただ、条例にはそれを実現するための具体的な手段についての言及はありません。そこはきっと多種多様な個性と才能と問題意識を持つ「市民」に委ねられているのだと思います。

 

私事ですが、何人かの仲間たちと街の中に誰もが寛げるシェアスペースをつくり始めました(https://www.facebook.com/1936354749911963/)。そのスペースのDIYを私たちでやっていたある日の休日、近所のおじさんが急に入ってきて「どれどれなにやってんだ。こんなのこうやれば簡単にできるんだよ」と私から工具を奪いDIYに乱入してきたのです(笑)。どうやら現役時代は技術者として長岡のモノづくりを支えていたというそのおじさん。ついつい昔の血が騒いで工具を手にしてしまったのでしょう。

急な展開にとまどいもありましたが、おじさんのイキイキとした表情を見て「まあこれもいいか」と肯定する気持ちの方が勝りました。相手のためになろうと自分のできるふるまいを精いっぱいするおじさんを止めるなんてできません。

そのスペースが「笑顔いきいき・協働のまち長岡」や「”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界」の実現にどれほど寄与できるかわかりませんが、あのおじさんがあの表情を見せたこの場所を、しっかりと守っていかねばと思った出来事でした。

 

NPO法人市民協働ネットワーク長岡
池戸煕邦