2017.08.10

【今日どう?通信】「したい」「しなければならない」の先にある継続のカギ(唐澤)

市民活動や地域活動の始まりの一歩は「○○したい」という想いだと思います。
今では大きくなった地域活動や伝統行事も、
はじまりは
「自分の地域を盛り上げる活動がしたい」
「子育てを助けるような活動をしたい」
「自分の好きなことで社会貢献したい」
などなど
誰かの想いから始まっています。

長岡花火の代名詞となった復興祈願花火「フェニックス」も、震災からの復興を祈願して、「世界一の誇れるような壮大な花火を打ち上げたい」という市民の想いからはじまりました。


想いから始まった活動は、
活動を続けるうちに、「やらなければいけない」という義務感が生まれてきます。
周りからの期待が責任感になったり、また重荷にもなったり、「しなければいけない」という状況は良い面も悪い面もある難しいステージです。
活動を続ける大きなハードルもここにあります。

「しなければならない」の乗り越え方というのはきっと千差万別。どうすればその先に行けるのかは、簡単には言えません。
しかし、「しなければならない」を乗り越えた先にある○○について、最近教えてもらったことがありました。

それは、市民活動・地域活動の取材の中での話です。
ある商店主が消防団やまつり検討会などの地縁的な役回りをたくさん引き受けていました。
私は素朴に「なんでそんなにいろいろとやる気になれるんですか?大変だと思うのですが…」と聞いたんです。
すると、「うちの親もみんなやってきたし。やることになっているから」と答えてくれました。
その時に、妙に納得したのを覚えています。


禅僧の南直哉さんが習慣について
―――――――――――
「したい」「しなければならない」は、所詮、人の感情や意思によります。
それは変わりやすく、習慣のように長く続くことは困難でしょう。
「○○することになっている」から○○する。
これが習慣です。
習慣にならなければ長くは続かない
―――――――――――
と書いていたことを思い出しました。

地域活動も地域の習慣に、そして伝統になっていくことが望ましいですよね。
そう考えると「したい」「しなければならない」の先に、

「することになっている」

と、みんなが思えるようになることが大切なのだと思いました。
町内会や消防など、長く続いている活動ほど、みんなが「することになっている」と、やるのが当たり前になっているような印象があります。

どうすれば地域の当たり前になれるのか?
そのための秘訣はわかりませんが、目指すべき姿がぼんやりと見えた気がしました。

 

 

NPO法人市民協働ネットワーク長岡 唐澤頼充