少し前から、実家の畑では母が育てる野菜がいろいろと実っています。
私はちょっとした用事をつくっては実家に帰り、「枝豆食べる?じゃがいもは?スイカもあるよ」と言ってくる母の言葉に、「いる~」と二つ返事で答え、たくさんの野菜を土産に抱えてまたアパートへ戻るのです。
そして、今回のお盆の帰省でも例外なく恩恵に預かりました。
母は、私に「ナスいる?トマトの皮が固いけど食うか?枝豆は前のと種類が違うんだよ」などと言って野菜を勧めてきます。
私はまた、「じゃあ、もらおうかな」と適当な返事を返し、勧められるままにもらいます。
いつももらってばかりで悪いな。という気持ちはもちろんあります。そして、野菜をもらうと、痛める前に食べないといけないので、追われるような気もして、めんどくさいと思うのも正直なところ。
でも、断るほどの理由もないので遠慮なくいただきます。
そんな贅沢な小さな葛藤を胸に抱えていた私に母は、「もらってくれる人がいるのは、結構張り合いになるから、お母さんもいいんだよ~」と言いました。
私が野菜をもらうことは、母の役に立っているようです。
当分は心置きなく、野菜をもらう役に徹していこう!と心が晴れました。でも、もらうからには、無駄なくおいしく食べることが私の責務!と自分にプレッシャーを掛け、料理へのモチベーションを高めるのでした。
さらに、今回の帰省ではこんな出来事もありました。
ご近所さんがお盆用に育てた花を、一輪車いっぱいに積んで、分けてくれると持ってきてくれたのです。それを「かんべんして~!今、飾る手間がないんだてー!」と思いっきり断る母。その姿に、相手の気持ちを受けとりきれない時には、断ることも大切な選択の一つ。と思うと同時に、容赦ない母の対応にヒヤヒヤ。断り方って難しいなとつくづく思うのでした。
お盆にあったちょっとしたエピソードから、相手が喜んでくれることを自分が提供できるって嬉しいことだと改めて感じました。それは自分の存在意義でもあります。もちろん、善意ばかりでは、いずれ自分が辛くなる日が来るかもしれませんが、相手の気持ちを考えつつ、持ちつ持たれつで相互にとっていい関係を築いていけるといいですね。
NPO法人市民協働ネットワーク長岡 岩渕直子