今日どう?通信
「大切にしたいものが同じ人たちが織り成す化学反応」
ながおか市民協働センターができてから3年目でもあり、長岡市として2012年に協働条例を制定してから3年目となり、長岡でも様々な「協働」により、地域づくりが行われています。
【長岡市協働条例】
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/shisei/cate01/shimin-kyodo/file/jyourei.pdf
今日は、改めて協働という言葉について掘り下げてみたいと思います。
辞書的には、協働の概念はこのようにあります。
協働:立場の違う人が互いを認め合い、それぞれのおもいに共感し、必要に応じて相互に補いながら、これらのものが持ち味を十分に発揮することにより、まちづくりを行うこと。
2004年に起きた中越地震よりまもなく10年の歳月が経とうとしています。
これまでの10年、長岡は復興というテーマでいろんな立場の方が一丸となって取り組んできました。
災害時、またはそこからの復興に際しては、協働なくては成し得ないことが多々あります。
協働はあくまで手段でしかないわけですが、その先にある目的を共有することが最も大切だといわれています。
長岡では「この町の暮らし」を大切にしたい人たちが力を合わせて、実行している人たちが多いですね。
協働という手段で言うと、違う立場同士が協力することも結果論でしかなく、皆が目的を共にできるのかということがカギとなります。
いわゆるビジョンや未来、理想の姿の共有した人たちが、自分の役割を果たそうとする動きそのものが、協働なんですね。
もちろん、一つの立場で解決できればそれはそれでむりやりコラボをする必要もないのですが、その先の姿を共有しようとしないというのは、
協働のまちとは言いづらいかもしれません。
これから行おうとしていることが、自分のためだけでなく第三者のためである場合、同じ大切にしたいものを共有する人たちと化学反応を起こして実行していく。
それが協働の原点かもしれませんね。
お互いにお互いの大切なものを知り、お互いの力を尊重しながら助け合うような自助共助の心が芽生えるまち。
そんなまちを目指していきたいものです。
行政も、企業も、NPOも、コミュニティも、個人も。
それぞれに出来ることや役割が違います。
でも目的が一緒であれば、おのずと協働が起きていて、後で気が付くと協働していたということも多いでしょう。
・共有して目指すべきもの。
・自らやりたいこと。
・自分たちにできること。
これらを整理して自分事としてできることを共有することで、いきいきとしたまちづくりに繋がっていくのでしょう。
震災10年を前に、そんなことを再確認しました。
皆さんも、ちょっと立ち止まって大切なものを思い返してみてはいかがでしょうか。
【樺沢】