今日どう?通信
~水から酒が生まれた理由(超仮説)~
先日、長岡市内の酒蔵をいくつか回らせていただく機会がありました。それぞれの酒蔵にそれぞれの味があり、趣があっていいものですね。
長岡には現在、16の酒蔵があり全国第2位の数。
1位は京都なので、人口規模からしてどうしてこんなに酒蔵のあるまちになったのでしょうか。
酒蔵と違う日に、和紙の工場も見学させてもらいました。
最近ユネスコで話題になっている和紙です。
酒と同様、どうしてこの地で和紙作りがはじまったんでしょうか。
酒蔵さんや職人の方にお話を聞くと、良い水が出ているという点と、気候がちょうどよいという共通点があるようです。
なるほどなるほど。
確かに素材が良いのは大きいかもしれません。
ですが私が思った「なぜ」は、そもそも良い水をそのまま活用したり違う水の使い方もあったのに、どうして酒や和紙に形をかえたのか。
「おかげさま文化」の長岡では、これができたのは自分以外の誰かのおかげであると伝わります。
自然のおかげ、山のおかげ、水のおかげと表現してとても良い文化ですよね。
ですがおかげさまに隠れてしまっていますが、人の想いがなくして素材からはこういった産物は生まれなかったのだと思います。
創る人は、これらの素材を通じてその暮らしの中に何を生み出したかったのか。
地域の人はその「ものづくり」に何を期待していたのか。
私の主観でしかありませんが、きっとこう思います。
「この地域の人は、単純に酒の席が好きで筆まめな人が多かったんだろう」と。
交流の席を生む酒を必要と思う地域の文化。
想いを伝え合う手紙を書きたいと思う地域の文化。
人との交流を楽しみたいという純粋な思いが文化となり、産業になった。
水を「楽しみ」に変えたいというパワーが宿って、交流や会話を生み出す酒や、関係性を持続させる紙に変化したんですね。
宿した人の想いは、もはや執念に近い(笑)
そう考えると、地域に根付いている産業の背景にある地域性が見えてくる気がします。
そろそろこたつでも、なんて家も多いと思いますが、寒くなりお酒の美味しい季節がやってきますね。
酒を飲むときに「よろこび」が生まれて交流を楽しむような文化が続くことが、産業を継続させる近道なのかもしれませんね。
良い恵みに!
「歓杯!」
【樺沢】