先日、新潟市の公民館が主催する若者向けのイベントに登壇してきました。
「『新潟あるある』を紹介して、普段の生活の中に溶け込んでいて気づかない、新潟の魅力を話してください」という依頼でした。昨年書いた、あるある本「新潟のおきて」の内容から新潟独自のネタを中心に話をしてきました。
事前に担当の方からは、
「新潟に住んでいながら、新潟にはおもしろいことが全然ないという若者も多いんですよ。もっと新潟がおもしろいと思って欲しいんです」というような話をされていました。
確かに、地元には何もない、つまらない、というような意見はよく耳にします。
でも、本当に地方は「おもしろくない」のでしょうか?
最近では、テレビでもインターネットでも、都道府県や地域のあるあるネタがとても流行っています。
「ダイヤを見つけ~たよ~」と聞かれれば「みのわでみつけ~たよ~」と答えちゃったり
「荒ぶる消雪パイプの犠牲になった」とか
「大洋紙」とか
「菊の花を食べちゃったり」とか
あるあるっておもしろいですよね。
でも、何でこんなにあるあるは「おもしろい」んでしょうか?
「おもしろさ」というのは一体何なんでしょう?
例えばテレビ番組は「おもしろい」ものが多いですよね。
人気の漫画も「おもしろい」。
では、人気がある=おもしろいのでしょうか?
そんなことはなさそうです。
小中学生の頃のことを思い出してみてください。
「◯◯先生のものまね」で笑いあったことがあったのではないでしょうか?
あれは間違いなく「おもしろ」かったはず。しかし、一方でその先生を知らない人(親兄弟や他校の生徒)にとっては全くおもしろくありませんね。
テレビと、あるある、担任の先生のモノマネの「おもしろさ」に共通するもの……
それは、「分かる・知っている」という大前提。
つまり、「話題を共有できている」ことが、おもしろさには欠かせないということではないでしょうか?
テレビのおもしろさは、前提を共有している人数がとても多いもの。一方、あるあるネタは県や地域の人だけが「分かる・知っている」。担任の先生のものまねは、さらに限られた人だけが共有している。
といった違いがあるものの、「誰かと話題を共有できた」ときに「おもしろさ」が、生まれるのは間違いなさそうです。
かつて、テレビや新聞、雑誌など限られた媒体でしか情報を入手することができなかった時代は「共有できるコンテンツ」が東京で作られた都市向けのものばかりだったように思います。
しかし今、インターネットが普及し、SNSが一般的になってきたことで「情報の流通」「情報の消費」が大きく変わっています。マスメディアが取り上げなくても、地域に住む人たちが地域の話題を自分でSNSに投稿し、皆で地域の話題を「共有」して、地域のことをおもしろがれるようになってきました。
けして地域が「つまらない」のではなく、これまでは、知らなかった、もしくは共有する相手がいかっただけなのかもしれません。だからこそ、このインターネット時代に、地域を知って、その話題をどんどんと誰かと共有していくことができたら、「おもしろく」なるのではないかと思います。
地域に住む人達が、東京で作られたコンテンツだけを消費するのではなく、少しでも地域の話題を消費して共有する。そうして共有できる人の輪がどんどんどんどん広がっていけば行くほど、「長岡っておもしろい」と感じるようになっていくのではないでしょうか。
日常の会話でも、SNSでも、都会の話題だけでなく、ちょっと長岡の話題を共有してみる。そういうひとつひとつの積み重ねが、長岡のおもしろさの源になっていくのかもしれません。
唐澤頼充