いつの時代も、若者が取り上げられる。
それは、仕事においてもまちづくりにおいてもこれから未来を担う人材であるからに違いない。
一方で、「今の若者の興味が分からない。」「今の若者はどこにいるんだ」「近頃の若者は意欲がない」など、近頃の若いものは…といわれるのは世の常である。
ある新聞で見かけた記事の中で、若者の仕事に関する意識調査があった。
そこでは、若者の3割が「できれば働きたくない」と考えていることが分かったとあった。
7割が働く目的を「安定した収入のため」と答えており、仕事を生活のためと割り切る傾向が鮮明になっているとのこと。
アンケートという一部の結果なので、世の中全部がそうかというとそうではないと思うが、こういった意識調査をするとどうしても「近頃の若者は…」ということになっていくように思えてならない。
私が子供だった時、ファミコンなどのゲーム機全盛だった頃ではあったが、空が真っ暗になるまで田んぼを駆け回って野球やサッカーなどをひたすらやっていた。
遊びは与えられるものだけではなかった。
今の時代、「あれしちゃだめ」「これをしなさい」「泣き止まないからスマホゲームを…」という親もいる。
『楽しみは与えられるものではない、自ら作り出すこと。』
この言葉は、私と歳が同じ同期生と最近話に出た言葉です。
世の中、お金を出せば、楽しいことはある。
しかし、それだけでは満たされない気持ちもある。
それは、「人任せ」であることと、「達成感」が無いからなのではないだろうか。
コンプライアンス(企業などが、法令や規則をよく守ること。法令遵守。)という言葉が重要視されるこの時代だと、楽しいことだけでは社会に認めてもらえない。
一部の人だけで楽しいことをやるのは趣味である。
一部の人が楽しいことをやろうと思い、みんな(社会)のためにやるのは公共である。
やりたいことをやりながらも、周りも気にしながら巻き込んでいく人たちが増えるともっと光り輝く地域が増え、「達成感」を感じる人も多くなると思います。
それと同時に大切なのは、「楽しいと思ったらやらせてみて、叱咤激励してくれる大きな心を持った大人の環境づくり」も必要だと感じ、私自身もそういった大人になっていくことを心がけたいと思います。
たかはし