2017.01.16

【むすび隊 三島】 江戸時代の三島に 思いを馳せる

こんにちは!旧三島町の脇野町に住んでいる大島健といいます。

今回は三島地域の江戸時代のお話です\(^o^)/

 

皆さんご存知のように10年ちょっと前、三島地域は合併をして長岡市になりました。
その前までは、三島郡三島町という地域でした。ここまでは、長岡市民なら常識ですよね。


ではここでクエスチョンです!今からもっともっと前、お侍さんやお殿様の江戸時代は何藩におさめていたでしょうか?

今と同じ長岡藩? 隣町の与板藩? まさかの三島藩? 自由気ままな無法地帯?

残念、どれも正解ではありません


正解は、長岡藩・与板藩・上山藩・会津藩・幕府直轄の天領
三島地域という狭い中で、なんと4つの藩と幕府がおさめていたのです


場所でいうと以下のように分かれます
長岡藩…瓜生・下河根川・藤川宮沢。三島地域の北東部。
与板藩…逆谷・上条・気比宮。三島地域の北側で和島地域と与板地域の隣。
上山藩…七日市・鳥越。三島地域の南側。
会津藩…蓮花寺。三島地域の山岳部。
天領…脇野町・上岩井・吉崎・大野・新保。三島地域の中心部

与板藩は、戦国時代から与板城にとって重要な拠点であった逆谷を中心に治めていました。

出陣前の戦勝祈願に立ち寄ったといわれている逆谷の寛益寺には、直江山城守兼続から天神像が奉納されています


(逆谷寛益寺)

 

上山藩は、七日市に七日市陣屋という役所を置いて、山形県上山市から、8~9人の役人が来ていました。学問に大変力を入れている藩で、のちの日吉小学校となる明新館支館という学校も作りました。

また上山本領は極度の飢饉状態となったとき、七日市からの送られた米により多くの人が救済されました。そんなつながりから、山形県上山市とは今でも交流が行われています。

(上山藩の大庄屋山田権左衛門邸跡)

 

幕府直轄地の天領は、脇野町に代官所も設置されていました。脇野町代官所は三島・刈羽・魚沼・頚城・古志郡の中越地域一帯をおさめていたそうです。佐渡金山から金を運ぶ重要な街道と関所だったようです。

また、ご天領ということで酒造りを幕府に願い出ればすぐに認可が下りることもあり、良いお米と良い水と交通の要所だったことをいかして、当時は6蔵もの酒蔵がありました

(脇野町代官所跡)

 

江戸時代の姿は見ることが出来ませんが、意外な歴史や名残はのこっているみたいです
三島特産品であるお酒やお味噌といった醸造文化、たくさんの記念碑やお寺の数々。

ちょっと昔のことを考えながらお散歩をすると、より楽しいかもしれませんね。
ポケモンは見つからなくても、昔の姿が見えてくるかもしれませんよ\(^o^)/

もっと三島地域の事を知りたい方は、「三島郷土資料館」に遊びに行ってみてくださいね

http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/miru/siryou/m-kyoudo.html

 

 

【著者プロフィール】

・大島健 (有)大島鉄工所

・全日本丸太早切選手権大会副代表

・シェア飯長岡代表

・食べて知るあなたの地域野菜実行委員

・生まれも育ちも 長岡市脇野町

・得意なこと 美味しいものを美味しく食べること