今回「地名の不思議 調査隊」ということで私の地元、越路地域、神谷の地名にフォーカスを当ててみます。と、その前にここ神谷を構成するもともとの集落を紹介します。今でも田んぼのある場所を示す時は昔の小字(こあざ)を使用しますが、大きくは「宮川新田」「道畔」「青島」という集落が合わさって一つの村になりました。その際に、つけられた地名が「神谷」ということになります。
もともと、ここ神谷は割と最近できた地名でありますが、それは諸説あります。どれが本当かというのは、はっきりとしたことはわかりませんが、主に言われているのは2つの説です。
一つはもともとこのあたりを収めていた庄屋の「紙屋 正左エ門」の荘「紙屋の荘」をそのまま当てて、それが時代を経て「神谷」という風に変化したという説。
そしてもう一つがここ、神谷から出馬した衆議院議員の高橋九郎さんが議事堂近くの地名「神谷町」を「紙屋の荘」と掛けて捩ったのが一つ、と言われています。
いずれにせよ地名ではありませんが「紙屋」という呼称がこの地域にはあり、それがもとになったことは言うまでもありません。
「神谷」という地名のもとになった「紙屋」は実は全国的にはそれほど珍しい地名や名前ではなく、紙問屋のある地域やその事業家がいた地域には割とポピュラーにつけられていた地名だったそうです。
この地域は、明治時代に稲作振興のため圃場整備を行った農業先進地であり、今でこそ田園の広がる地域ではありますがもともとは三島、関原から浦村、岩野まで桑園や桐畑が続く林だったそうです。そういった森林のある地域は、製材や製紙業が発展するのは言わずもがな。そういった背景もここ「神谷」を物語る上では欠かせません。
と、ここまで地名の由来を語ってきましたが、実は、この地名が決まる前に面白いことに新潟県で初めてできた農業信用組合「神谷信用組合」(現:神友館)の方が先に「神谷」という呼称を取り入れていたという事実(笑)(これが地名の由来ではないのですが)
歴史とは、どのように事実が語られどのように残っていくのかは、後世の人には真実を知る由はありません。ですから、ここまでのことは本当かどうか口伝の域を出ませんが、あまりはっきりとこれだ!と決めるより、あいまいな方が浪漫を感じるのも歴史の妙といえるのではないでしょうか!
【著者プロフィール】
白井 健太郎
住まい:長岡市神谷(旧越路町)
特技:スキー、バスケ、お酒