2017.12.28

【むすび隊 旧長岡地域】わくわくする「伝説」が由来

来たる平成30年は平成の元号最後の一年。そして、長岡に牧野の殿様が来られて400年であり、『ROOTS400』の名称で華々しく各種事業が展開されるはず。さらには戊辰戦争から150年のメモリアルイヤーでもあり、郷土史のまち新組地区の『北越戊辰戦争伝承館』でも、もちろん関連事業をグイグイと推し進めます。

 

その新組地区からも地名の話題をひとつ。

古くから残る地名には、地理的特徴や歴史背景の由来が付き物です。新組地区にも歴史ロマンを感じる面白そうなものがありました。見附市寄りに位置する『百束(ひゃくそく)町』は、地域の記録では1,000年続いているのではないかと言われる集落です。僕が子どもの頃に聞いた話では、この百束の町名は「兄に追われて逃れる途中の源義経を不憫に思って、百束の草鞋を差し出した。」という心踊るものでした。

ところが、近年に出版された新組郷土史を読むとちょっと(全然?)違いました。

 

地名の由来に諸説があるのはよくあることですが、地域公式の郷土史に掲載されている内容もやはり「一説」と前置きされています。平安時代の後期のこと、東北で「前九年の役」に敗れた残党「黒鳥兵衛(くろとりひょうえ)」が越後に乱入して大暴れをしました。そしてそれを討ったのは源義綱でした。当地の村人は、義綱の軍勢が沼地で戦うのに便利だろうと百束の「かんじき」を差し出し、その功績に対して、「百束」の地名が与えられたというのです。

 

この語り伝えで僕が魅力的に思うのは、ヒーローの源義綱ではなくて討たれた方の「黒鳥兵衛」です。黒鳥兵衛のことは、越後の民俗研究者の高橋郁丸さんの著書『新潟の妖怪』で知りました。え?妖怪?と驚きますが、兵衛は秋田鳥海山の天狗から魔術を習い、その力で夏に雪を降らせるなどして義綱を苦しめたという、とても伝説的で怪異な人物なのです。『新潟の妖怪』では、同じ頃の伝説「酒呑童子」を挙げて、越後には中央集権に抵抗する人たちがいたと書かれていますが、なんだかその後の先人たちや内閣総理大臣を思い出しますね。

 

少し話は逸れましたが、皆さんのふるさとの地名からも、わくわくするお話が飛び出すかもしれません。お正月に親戚が揃った時の話題にもぜひ。

「新潟妖怪研究所」
http://www.geocities.jp/fumimalu/youkaikenkyujyo.html

 

 

【著者プロフィール】
名前:恩田 富太(おんだ とみた)
出身:生まれ育ち現在は長岡市新組町(間に進学・就職の東京が入ります。)
所属:「新組地区長谷川泰を語る会」
特技:広告デザイン、イラストと俳句