2017.08.30

\みんなの声/ 人生の山登り

7/21~8/20までの間で、協働センターでは普段のさりげない「人と人との関わり合い」に改めて目を向ける機会に、との気持ちから月替わりのテーマで皆さんからのメッセージを募集しました。今回は「○○に助けられました! 人生の山登り」がテーマ。頑張った思い出や、支えてもらったあの日のこと、日々の暮らしの中で実感する身近な人からの支えなどを投稿いただきました。ご紹介します!

 

◆川口むすび隊 砂川祐次郎さん

越後川口で一番標高の高い木沢集落の二子山。そこにつながる遊歩では 中越大震災による大きな被害からの復旧整備に地域内外の様々な助けがありました。地元地域にできること。ボランティアにできること。行政にできること。いろいろな「できること」を当時の復興支援員が上手くつなげてくれました。数えきれない「助け」によって復活した遊歩道は今も整備が続けられています。そんな物語に思いを馳せながら東川口から竹田を通り二子山につながる遊歩道を歩いてみてはいかがでしょうか。

 

◆越路地域むすび隊 白井健太郎さん

今まで山場というのは大小ありますがそれなりに超えてきたつもりでいます。その都度、いろんな人やものに関わりながら解決してきました。 ちょっとディープでネガティブな部分もありますが、私のことを良く知っている方ならご存知のことを話します。

私は現在、8歳、6歳、4歳の3人娘の父として日々、仕事や子育てや様々な活動に従事しています。最近はさまざまな活動も大きなウエイトを占めるようになってきましたが(笑) この、様々な活動をするようになったきっかけ・・・その発端は次女、夏希が生まれたことから始まります。

【第21番染色体トリソミー】 いわゆるダウン症という障害を持って生まれてきました。 自分の人生の中で、障害を持った人(この場合自分の子供ですが)と深くかかわることがあるとは思ったことがなく、それはある意味全く別世界のことだと思っていました。ところが自分の子供がそうなって生まれてきたからにはやはり無視できるわけにもいかず・・・当時は「なぜ???どうして??何がいけなかったのか??」と自分を責めて責めて解決することもない答えを探すのに必死で、その繰り返しに悩み絶望した時期もありました。今思えば、そんなこと些細なことだったなと思えるのですけどね。障害を持つことも決してネガティブなことばかりではないと今ならば思えますし。

さて、少し話が脱線しましたが、やっぱり子供たちは日々成長していくもので、ゆっくりとは言えきちんと成長していく夏希の姿に「もっとしっかりしなくちゃな・・・」とはっぱをかけられているようでした。 ですが、やはりいろんな思いに空回りする日々もあり、諸々のことで衝突をしたこともあったのは事実。その山を乗り越えられてきたのは月並みですがやっぱり家族だと思います。

そして、同じ境遇を持ったご家族と夏希の同級生仲間でしょうか? 共に涙し、共に笑い、共に驚き、共に感動する・・一人じゃない。その共感こそが私が大きな山を乗り越える原動力だったかと思います。そして、その原動力を力に子供たちの未来のため、今、様々な活動に従事してより良い社会との関わり作りに邁進しています。

一見、ちょっと筋が違うようなところも含めて何がチャンスになるかはわかりません。これからも忙しい(笑)毎日が続くとは思いますが、そんな日々の山場を楽しみながら頑張っていきたいと思います!!

 

◆ほっぺちゃんさん

こんにちは!私の場合「山」と感じることがあまりありません。 友人に話すと壮絶な人生らしいのですが(笑)人によって「山」の感じ方って違いますね! 自分の生涯を閉じるとき「あそこが山だった」って気付くのかな? そのときは大切な仲間に囲まれていたいものです。

 

◆長岡地域むすび隊 恩田富太さん

平成19年は長岡にUターンした年ですが、大災害続きの年でした。その後も何だかんだとあり、帰郷を悔いてしまっている日々でしたが、結婚が決まると覚悟も決まりました。特に妻は太平洋側からの移住で、地域に根差す営みを共にする家族が出来たことで越えられた「山」があったと思います。 ちなみに当時交際中の妻の初登山は神奈川県の「大山」で、彼女が残雪の1,200メートルをいきなり踏破したのには感心しました。

 

◆和島地域むすび隊 桑原佑美さん

私が一番勉強を頑張ったのは専門学生の頃。検定前は夜遅くまで学校に残って勉強、帰りの電車でも教科書開いて、家で寝てる時まで勉強の夢を見てねごとで簿記の仕訳を言ってたこともありました…。あんなに頑張れたのは同じ目標を目指して一緒に頑張ったクラスのみんなが居たからです。卒業して10年以上経ちますがずっと大切な友達です。
 
◆寺泊地域むすび隊 板倉 梨紗さん
私の『人生の山』はやはり出産です。いつかは頂上に到着できると思いつつも、長くて険しい山でした。ただ、本当に多くの助産師さんが代わる代わる背中をさすり続けてくれ、励ましてくれ、9年経つ今でも顔を忘れないほどです。感謝の気持ちは今でも忘れません。
 
◆紫苑さん
私は人生の山場にスクールカウンセラーの先生に寄り添ってもらいました。引っ張るというより寄り添うという感じで助かったのを思い出します。それがきっかけでカウンセリングの勉強をしています。いつか、私も寄り添う側になれたらいいなと思います。
 
◆小国地域むすび隊 品川賢太
以前働いていたところは労働時間が長く、常に体力・精神力との闘いでした。 営業だったので、数字が出ない時は落ちこむこともしばしば。 山登りに例えるなら、月の始めに登り始め、月末と共に山頂に到着。そして翌月には新しい山へと登り始めるという、永遠のトレイルラン。 仕事が終わる頃にはお店はどこも閉まっていて、飲みに行くこともなかなかできない日々でした。
そんな日々の支えだったのは、会社の先輩でした。二人共一人暮らしだったので、仕事の時間以外は自由な時間でした。 深夜に缶チューハイを持ち寄って飲むのですが、だいたい疲れて気が付いたら寝てしまい、翌日あわただしく出社する日々が、唯一のストレス発散で心の支えでした。
新潟県外の職場でしたので退職依頼なかなか会うことはできないですが、来月には私の結婚式で二年ぶりにお会いできるのをとても楽しみにしています。
 
◆ギラメン君さん
今まさに、雪崩に巻き込まれたような状況です。 山頂は見えていたのですが、油断は禁物ということですね。 崖の淵に手を掛けて、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っています。