長岡市市民協働条例の制定から10年。長岡には地縁を超えた多くのNPOや市民活動団体が新たに生まれ育ってきました。その中で「どう活動を持続させていくか」は、多くの団体に共通する悩み。今回は長岡で受け継がれてきた2つの伝統的な祭りの営みから、「活動を続けるヒント」について考えます。
長岡が誇る2つの伝統文化
見附今町・長岡中之島大凧合戦は、6月の第1土曜日から3日間行われる行事(2022年度は中止)。その起源は300年以上前と言われ、今の合戦形式になったのは1783年(江戸 時代)と言われています。中之島地域からは3組が出場し、見附市今町と合わせ合計8組が 刈谷田川両岸から大凧を揚げて行う空中戦 は「越後の凧合戦習俗」として新潟県指定無長岡市市民協働条例の制定から10年。長岡には地縁を超えた多くのNPOや市民活動団体が新 たに生まれ育ってきました。その中で「どう活動を持続させていくか」は、多くの団体に共通する悩 み。今回は長岡で受け継がれてきた2つの伝統的な祭りの営みから、「活動を続けるヒント」について考えます。 形民俗文化財に指定。組のメンバーは合戦に向けて4・5月は毎夜公民館に集まり、大凧の絵付けや制作に没頭しています。
深沢は小千谷市と地理的にも文化的にも近い地域。4町内207世帯が氏子を務める深沢神社で行われる秋季大祭では、4台の山車を引き回します。その山車のうちひとつが新潟県指定無形民俗文化財に指定された「巫女爺(みこじい)人形操り」。他と違い深沢では「御子爺」の文字が当てられています。祭りの日には地域を離れた人たちも帰郷し、笛太鼓や唄のシャギリに参加。町内ごとのステージ発表や花火の打ち上げなど小さな地域ながらも盛大な祭りを続けています。
「大義」よりも楽しさ
祭りは古来より、飲んだり、騒いだりできる数 少ない娯楽でした。2つの祭りは、今も「住民の楽しみ」という原点を守り続けています。
中之島の凧合戦は神事としてではなく「好きで続いてきた行事」とのこと。かつては合戦が近 づくと「男は仕事しないで凧揚げして遊んでろ」 と言われた時代もあったんだとか。今でも若手への勧誘文句は「凧、面白いよ!一緒にやらない?」です。
深沢神社の秋季大祭は、観光客はほとんど見 に来ない、純粋に住民たちのための祭りです。今でこそ伝統の「御子爺」も、当初は周辺地域の流行を取り入れたもの。その精神を忘れず、伝統を守るだけでなく、キャラクターをあしらった山車をつくったり、町内ごとに子ども会や若手などが、よさこい節や、ダンスを披露。祭りを自分たちで楽しむものにしようとしています。
多世代が集い、 新しく人が来て、人が育つ仕組み
祭りは世代を超え住民が協力して作り上げる場でもあります。
深沢では、町内ごとに祭りに向けて笛、太鼓、踊りなどの練習を1ヶ月ほど前から行っています。練習には、年長児から参加し最初はシャギリの踊り、小学4年になると笛を覚え、全員がお囃子を演奏できるようになっていきます。また、還暦や入学、新築のお祝いといった節目で花火を打ち上げるなど、多様な関わり方が用意されています。
中之島の「組」に所属するのは30~70代の男性。多世代が共に汗をかきながら、技術を共有しています。凧の組は、もともと青年会や 消防団と同様に「入って当たり前のもの」でした。しかし、最近は組に入る若手も減少。そこ で、小学校での凧揚げ体験や、卒業制作での 大凧作りなど、小さな頃から大凧の楽しさに 触れてもらう機会をつくり、将来の担い手になってくれることを期待しています。
また、地縁組織の特徴に「役職」の持ち回りがあります。誰もが役職を経験できるからこそ人が育ち、強いリーダーがいなくとも活動が続けられる体制がつくられていきます。
苦労の先にある喜び
先人から継いできた伝統は、負担に思うことがあるのも事実です。毎年時期が来ると準備に追われ、多くの時間を費やすので、他の事を犠牲にして、わざわざ大変なことをしている と感じることもあるそう。深沢では、昭和30年代には、会社勤めをする若手が増えたことで、担い手不足となり10年ほど祭りが途絶えていた時期もありました。労力だけでなく、祭りの 運営費や、神社の維持、山車の維持、大凧の 制作費など金銭的な負担も決して軽くなく、毎年の寄付や協賛集めも一苦労です。
それでも苦労の先には、特別な手応えがあります。職場とも、家庭とも違う場所。そこで、集まって、作業して、飲んで、喋って、世代や地域を超えた人との繋がりが生まれていきます。「大変だけど続けていると、こういう場の大切さを実感します。祭りがあるからこそ、 日々の仕事や生活にもハリが生まれます」。
取材を通じ、長く続く活動には、住民がつながり合い、関係性を育む力があることを感じました。続けることは苦労も多いが、乗り越えれば良い思い出になる。そして、その思い出は、今を生きる人達だけでなく、地域の先人や次の世代とも共有されるものとなっていきます。長く続いてきた根幹には、「どうしたら皆で楽しめるのか?」を問い続け、時代ごとに活動を変化させてきた姿勢があるのではないでしょうか。
本記事は、らこって2022年6月号でご紹介しています。