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更新日:2026.09.09

「認知症になっても大丈夫」と思えるまちへ。希望あるまちは、自分でつくる|ながおか認知症の人と笑顔でい隊・佐藤庄吾さん

長岡のまちづくりプレイヤーにスポットを当てるインタビューシリーズ。今回は、「ながおか認知症の人と笑顔でい隊」の隊長を務める佐藤庄吾さんにお話を伺いました。

佐藤さんは、2000年から認知症の人を主な対象とする精神科病院で、作業療法士として勤務してきました。専門職として認知症への理解を深める一方、病院の外へ活動の場を広げ、2019年に「ながおか認知症の人と笑顔でい隊」を設立。認知症本人による講演会や映画上映会、長生橋のオレンジライトアップ、オレンジ色の花を介した活動オレンジガーデニングプロジェクトなどを通じて、「認知症の人も暮らしやすいまち長岡」を目指しています。

2026年春には、長年勤めた高齢者分野を離れ、子どもの発達支援分野へ転職。なぜ佐藤さんは、仕事の外でも地域に関わり続けるのでしょうか。

活動の原点から、佐藤さんが思い描く「共生社会」の姿まで、じっくりと伺いました。

佐藤さんのインタビューはYouTubeでもお楽しみいただけます。記事にできなかったお話もたくさんありますので、ぜひご視聴ください。

 

工業高校から、作業療法士の道へ

 

――まずは、佐藤さんのお仕事について教えてください。

佐藤庄吾さん(以下、佐藤):作業療法士として働いています。作業療法士は、その人の健康や幸福のために、本人がやりたいことを実現できるよう支援する仕事です。

これまでは高齢者分野で働いていましたが、2026年の春に転職し、現在は子どもの発達支援分野で働いています。

――もともと福祉の仕事に関心があったのでしょうか。

佐藤:生まれ育った地域に高齢者施設があり、小学生の頃にボランティアで訪問したことが、最初のきっかけだったと思います。高校生の時にも、長岡市が行っていたボランティア教室に参加したり、ボランティア団体に所属したりしていました。

当時は介護福祉士になりたいと思っていたのですが、ある方から「作業療法士という仕事もあるよ」と教えてもらいました。調べてみると、とてもいい仕事だと感じて、目指すことにしました。

――高校は工業高校だったそうですね。

佐藤:そうなんです(笑)。実家は農家で牛も飼っていました。工業高校に進学したので、両親は工場に就職するものだと思っていたようです。

そこから福祉の分野へ進み、村上市にある4年制の専門学校で作業療法士の資格を取りました。農家の長男なので、卒業後は長岡へ帰ってくるつもりでいました。

自分たちの知識を増やすだけでなく、地域の人たちにも知ってもらいたい

――卒業後は、認知症の人を主な対象とする精神科病院に就職されたのですね。

佐藤:はい。実習でお世話になった病院に、そのまま就職しました。働き始めたのは2000年で、ちょうど介護保険制度が始まった年です。

学生時代に学んだ知識だけでは、現場で分からないことがたくさんありました。それで、レクリエーションや笑い療法など、認知症の人との関わりに生かせそうなことを幅広く学びました。

その中でも大きかったのが、「認知症ケア専門士」の資格を取得したことです。

ただ、資格を維持するには研修への参加が必要でしたが、当時は東京まで行かなければならないことも多く、時間もお金もかかりました。そこで、県内で研修会を開けないかと思い、同じ資格を持つ人たちに手紙を書いて、一緒に会を立ち上げました。

――専門職同士で学ぶだけでなく、地域での啓発活動にも取り組むようになったのはなぜでしょう。

佐藤:自分たちの知識だけを増やしていてもしょうがないと思ったんです。もっと地域の人たちに、認知症について知ってほしいという思いがありました。

認知症と身近に関わっていない人にとっては、そもそも関心を持つきっかけがありません。「何も分からなくなる」「周囲に迷惑をかける」「施設に入らなければならない」といったイメージも強かったと思います。

でも、実際に認知症の人と関わっていると、本人にもやりたいことがたくさんあります。人や社会とつながっていたいという気持ちもあります。そのことを、もっと地域に届けたいと思うようになりました。

認知症になっても、大切なものは変わらない

――認知症の本人は、どのような思いを持っているのでしょうか。

佐藤:私が大切にしてきた考え方に、「パーソン・センタード・ケア」があります。

認知症の人にも、安心してリラックスしていたい、人と関わっていたい、自分の好きなものと関わっていたい、活動していたい、社会とのつながりを持っていたい、自分らしさを大切にしたい、といった心理的なニーズがあります。

それは、認知症が進行しても変わりません。たとえ寝たきりになったとしても、その人の大切にしていることが満たされれば、幸せを感じることができます。

作業療法にも、「その人にとって意味のある活動を大切にする」という考え方があります。認知症の人にもやりたいことがあり、社会と関わっていたい。そのことを、現場で実感してきました。

――病院の中だけでなく、地域に出たいという思いも強くなっていったのでしょうか。

佐藤:病院で働いていると、関わるのは入院している人が中心です。でも、その人が病院へ来る前にも地域での暮らしがあります。

もっと早い段階から地域に関わることで、認知症に対するイメージを変えられないかと思うようになりました。

高齢者や障がいのある人、子どもたちが一緒に過ごす「富山型デイサービス」を知った時には、「こういう場所はいいな」と感じ、実際に富山まで研修に行きました。

認知症の人が暮らしやすい社会を考えていくと、福祉だけではなく、まちづくりそのものを考える必要があると感じ地域づくりの研修会に参加するようになったんです。

全国の活動から、地元・長岡での活動へ

――地域での活動を本格的に始めるきっかけになったのが、「RUN伴(らんとも)」だったそうですね。

佐藤:RUN伴は、認知症のある人も、ない人も、一緒にタスキをつなぎながら認知症にやさしいまちづくりを目指す活動です。

全国で行われていることを知り、「新潟県でも開催できないか」と関係者へ連絡しました。県内で実行委員を募り、長岡でも開催しました。

コースを考えたり、企業へ会場の協力をお願いしたり、地域の人たちに活動の趣旨を説明したりしました。福祉に関心のない人にも知ってもらうために、どう伝えれば関心を持ってもらえるのかを考えたことは、大きな経験になりました。

オレンジ色の服を着て地域を走るので、「オレンジの人たちを見たよ」と声をかけてもらったこともありました。

――その後、全日本認知症ソフトボール大会にも参加されています。

佐藤:認知症のある人もない人も関係なく、一緒にソフトボールをする大会です。そうした活動が本当に楽しくて、「地元でも、こんな場をつくりたい」と思いました。

県内の活動にも参加していましたが、中心は新潟市で、仕事が終わった後に打ち合わせへ行って、また長岡へ帰ってくる生活はなかなか大変でした。

何より、一番変わってほしいのは自分が暮らす長岡です。それなら長岡を拠点に、長岡に根差した活動をしようと思い、2019年に「ながおか認知症の人と笑顔でい隊」を立ち上げました。

――最初から多くの仲間が集まったのでしょうか。

佐藤:RUN伴のスタッフに声をかけたので、みんな集まってくれるだろうと思っていたのですが、来てくれたのは私を含めて3人でした。「どうしよう」と思いましたね(笑)。

それでも、せっかくだから始めようと。その後2人増えて、5人で活動するようになりました。

メンバーは介護職や看護職など、それぞれ違う施設で働いています。福祉の仕事は勤務時間も休みもばらばらなので、全員が集まって打ち合わせをすること自体が難しいんです。

そこで、まずは自分たちにできることから始めることにしました。

認知症本人の声を、地域へ届ける

――団体として、最も大切にしてきたことは何ですか。

佐藤:「認知症本人の声を届ける」ことです。

認知症の本人を招いた講演会や研修会を企画したり、図書館や書店に認知症をテーマにしたブックフェアをお願いしたりしました。

認知症啓発のシンボルカラーであるオレンジ色に長生橋をライトアップできないか、「長生橋を愛する会」の皆さんに相談したこともあります。

最初の頃は、9月の認知症月間に合わせて、「長岡全体をオレンジ色にしたい」と、企業や店舗を訪ねて協力をお願いしていました。

ただ、活動を続ける中で、お願いをすること自体の負担や、協力してもらった相手に自分たちは何を返せるのかということも考えるようになりました。今は、無理なく続けられる形へ少しずつ活動を調整しています。

――市民活動フェスタにも継続して参加してくださっていますね。

佐藤:RUN伴のゴールを、以前は福祉イベントの会場にしていました。ただ、福祉に関心のある人だけではなく、もっと一般の人にも認知症について知ってほしいと思い、市民活動フェスタへ参加するようになりました。

参加してみて、長岡にはこんなに多様な市民活動団体があるのだと初めて知りました。福祉とは違う分野の人たちと出会えることも、すごくいいと感じています。

昨年、久しぶりにフェスタへ参加して、最後に会場のみんなでエンディングダンスを踊ったんです。子どもから高齢者まで、いろいろな人が自然に混ざり合って踊っている姿を見て、「これこそ共生社会じゃないか。もうここにできているじゃん」と、本当に感動しました。

自然に人が混ざり合う場所が、共生社会

――佐藤さんが思い描く「共生社会」とは、どのような社会でしょうか。

佐藤:障がいや病気によって人を区分するのではなく、何らかの生活のしづらさを感じている人も、一緒に生活できることが当たり前の社会です。

他県の事例ですが、高齢者向けの住宅でありながら、地域の子どもたちが遊びに来て、住んでいる人と一緒にゲームをしたり、時にはけんかをしたりする場所を見たことがあります。そこにいる人たちは、「福祉サービスに参加している」という感覚ではなく、ただ普通に暮らしている。生活の中に、いろいろな人との関わりが自然に溶け込んでいるんです。

「福祉だから一緒にいましょう」と無理に混ぜるのではなく、自然に人が混ざり合っている。そういう状態が、私の理想に近いと思います。

――団体のTシャツには「MY HOPE TOWN」と書かれていますね。

佐藤:団体を立ち上げる時に、メッセージ性のあるTシャツをつくりたいと思い、知り合いのアパレル会社の方へ相談しました。

その時に提案してもらった言葉が、「MY HOPE TOWN」でした。

「私の希望のまち」という意味ですが、そこには「自分のまちは、自分でつくろう」というメッセージが込められています。

いろいろな課題はあるけれど、この長岡が希望あふれるまちになるように、自分ごととして、自分たちの手でつくっていく。その思いを掲げて活動しています。

 

「認知症になっても大丈夫かも」と思ってもらえた

――これまでの活動で、最も手応えを感じた出来事は何ですか。

佐藤:県や市のフォーラムに呼んでもらったり、研修会の講師を依頼されたりするようになったことも、活動の成果だと思います。

でも、一番印象に残っているのは、市民活動関係の方と何気なく話をしていた時のことです。

自分たちの活動や、認知症の本人がどのような思いを持っているのかを話したら、「佐藤さんと話したら、自分も認知症になっても大丈夫だと思えた」と言ってくれたんです。

行政が行う大きな事業ではなく、ちょっとした会話の中で生まれた変化でした。

大きな活動を続けることは難しいかもしれません。でも、一人の人と話をして、その人の認知症に対するイメージが少し変わる。何もしなければ、その一人の変化も生まれません。

一人ずつであっても、そこには活動を続ける意味があると思いました。

 

その時に関われる人と、その時にできることを

――少ない人数で活動を続けるために、工夫していることはありますか。

佐藤:メンバーだけですべてをやろうとしないことですね。

映画『オレンジ・ランプ』の上映会を企画した時には、周囲に話したところ関心を持ってくれる人がいたので、団体の事業にはせず、「ながおかオレンジ・ランプ上映実行委員会」を新たにつくって開催しました。

市民活動フェスタでも、当日にスタッフが体調を崩して来られなくなった時、周囲に声をかけたら、その日だけ手伝いに来てくれた人がいました。

もちろん団体のメンバーになってもらえたらうれしいですが、無理に入ってもらう必要はありません。その活動に関心がある時だけ、一緒に関わってもらう形でも十分ありがたいです。

団体のメンバーが全員で、すべての活動をする必要はない。その時にできる人と、その時にできることをやる。そんな形でも、活動は続けていけると思っています。

 

まちづくりは、自分にとっての「趣味」

――仕事や家庭、農業もある中で、なぜそこまで市民活動に時間を使えるのでしょうか。

佐藤:実は、ほかに趣味がないんです(笑)。釣りや登山をするわけでもなく、時間があれば本を読んだり、研修に参加したりしています。

共生社会について「あれがいい」「こうしたい」と思っているのに、何も活動をしていなかったら、自分の中にモヤモヤがたまっていくだけだと思います。

「ながおか認知症の人と笑顔でい隊」があることで、自分の思いをアウトプットできます。まちづくりや共生社会をつくること自体を、趣味のように楽しんでいる感覚です。

もちろん、プライベートを大切にしたい人は、それでいいと思います。「やらなければならない」と無理をしていたら、市民活動は続きません。

私は好きでやっているので、それほど負担には感じていません。

40代後半で、子どもの発達支援分野へ

――2026年春、長年働いた高齢者分野を離れ、子どもの発達支援分野へ転職されました。どのような思いがあったのでしょう。

佐藤:認知症の人を中心とした共生社会について、これまでずっと考えてきました。

一方で、ほかの障がいや福祉分野について相談された時に、自分には十分な知識がなく、答えられないと感じることもありました。

子どもが就職するという家庭の一区切りもあり、「ほかの分野を学んだ上で、共生社会をもう一度考え直したい」と思ったんです。

そこで、高齢者分野とは反対側にあるような、子どもの発達支援分野へ転職しました。

――長年の経験がある分野を離れることに、不安はありませんでしたか。

佐藤:生活を少し小さくしなければならない部分はありますが、それでも、違う分野に挑戦したいという思いがありました。

今は、2000年に初めて作業療法士として働き始めた時と同じような感覚です。子どもと関わることは好きですが、実際に支援するとなると、知らないことばかりです。一から勉強しています。

認知症だけではなく、子どもも含めた共生社会を考える上で、とても大切な経験になると思っています。

 

いつか、共生社会を実感できる場所を

――これから挑戦したいことを教えてください。

佐藤:まずは、実家の農業を続けている両親を支えたいと思っています。両親が稲作から引退する時期も近づいているので、それまでは、親がやりたいことをできるだけ支えたいです。

その間に、さまざまな人とのつながりや知識を増やしながら、いつか共生社会を実感できるような場所をつくれたらと思っています。

それが仕事になり、生活につながっていくことは一つの理想です。ただ、仕事だからこそできることと、仕事ではないからこそできる活動の両方があると思っています。

どのような形になるかはまだ分かりませんが、これからも考え続けたいです。

 

――現在、参加を呼びかけたい活動はありますか。

佐藤:認知症の本人を追ったドキュメンタリー映画が制作されていて、完成後には長岡でも自主上映会を開催したいと思っています。チラシなどを見かけたら、ぜひ参加してください。

また、「オレンジガーデニングプロジェクト」にも参加してもらえたらうれしいです。

この活動は、新型コロナウイルスの影響で人と会うことが難しくなった時に、全国で認知症に関わる活動をしている仲間とオンラインで話し合い、生まれました。

9月の認知症月間に向けて、マリーゴールドやキバナコスモスなど、オレンジ色の花を育てます。人と直接会えなくても、花を育てる楽しみを持ち、その花を通じて誰かとつながることができます。

オレンジ色の花を活用しながら「認知症になっても暮らしやすいまちをみんなで創っていこう!」という活動です。

そして、つながりを大切にしていますので、私を見かけたら、ぜひ気軽に声をかけてください。活動の場では、だいたいこの「MY HOPE TOWN」のTシャツを着ています(笑)。

一つひとつの出会いや会話から、「認知症になっても大丈夫」と思える人を増やしていきたいです。

 

ながおか認知症の人と笑顔でい隊の活動はFacebookページでアップ中!

・ながおかオレンジプロジェクト:Facebookページ 

・オレンジガーデニングプロジェクト:Fecebookページ 

佐藤さんのインタビューはYouTubeでもお楽しみいただけます。記事にできなかったお話もたくさんありますので、ぜひご視聴ください。