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更新日:2026.06.03

ゼロから20年、里山の「センス・オブ・ワンダー」を次世代へ。|NPO法人越の里山倶楽部・河合佳代子さん

長岡のまちづくりプレイヤーにスポットを当てるインタビューシリーズ。
今回は、国営越後丘陵公園内にある「里山フィールドミュージアム」を訪ねました。
お話を伺ったのは、NPO法人越の里山倶楽部の河合佳代子さんです。
越の里山倶楽部は、里山フィールドミュージアムで行われる体験プログラムの企画・運営を担っている団体。
自然観察や農的体験、昔ながらの暮らしに根ざしたプログラムを通じて、人と自然、人と地域の知恵をつなぐ活動を続けています。

河合さんのインタビューはYouTubeでもお楽しみいただけます!
記事にできなかったお話もたくさん!ぜひご視聴ください。

地元のNPOが里山を担う

――越の里山倶楽部は、どのような団体なのでしょうか?

河合:
平成17年に設立総会を開いた団体で、今年で20年を超えました。
国営越後丘陵公園の里山フィールドミュージアムで、体験プログラムの企画・運営を行っています。
もともとは、この公園の里山エリア(旧名野生ゾーン)をどう利活用していくかを考える検討委員会が招集され、その中で「地元のNPOが企画運営を担った方がいい」という答申を出したのですが、そのような地元の団体はまだありませんでした。

――なかったから、自分たちでつくった団体なのですね。

河合:
そうです。検討委員会の有志が発起人となって、越の里山倶楽部ができました。
私はその時のメンバーで、理事という立場でもあり、実際には事務局や現場のことを中心に関わってきました。

高校時代、洋上セミナーで「学校の外の学び」に出会う

――河合さんは東京のご出身なのですよね。

河合:
はい。東京23区内で、普通に「まちの子」として育ちました。時代は昭和でしたので、
ドラえもんに出てくるような空き地があって、鬼ごっこやかくれんぼをしたり、季節になればヨモギを摘んだりもしていました。

――社会教育に関心を持ったのは、どのようなきっかけだったのでしょうか?

河合:
高校生の頃に参加した、東京都主催の「洋上セミナー」が大きかったです。
船で中国へ向かうプログラムで、東京各地から集まった高校生たちと一緒に過ごしました。
それまでの自分にとっては、家庭と学校の生活が自分の世界の中心でした。
でも船の中では、いろいろな背景を持った同世代と出会い、さらに海外にも触れることができた。
そこで「学校の外にも、こんなに広い世界があるんだ」と感じました。

――高校時代の経験が、その後の進路選択につながっていったのですか?

河合:
そうですね。その経験から、学校だけではない学びや、人が育っていく場に関心を持つようになりました。
社会教育という分野があることも知り、大学を選ぶ時にも、社会教育やレクリエーション、野外教育に関わる学科を意識するようになりました。

大学時代、野外教育から環境教育へ関心が広がる

大学時代に参加したニュージーランドでの冒険体験プログラムの様子

――大学では、どのようなことに関心を持っていたのですか?

河合:
最初は、自然の中で何かにチャレンジする「冒険教育」に興味がありました。自然の中に身を置くことで、自分の中で見えてくるものがあると感じていたので。
当時は、今のように環境教育や冒険教育という言葉が今ほど一般には知られていませんでした。そうした分野は海外から入ってきていた時代で、海外でキャンプをしたり、トレイルを歩いたりしてみたいという思いがありました。

学生時代には、国際的な冒険体験プログラムでニュージーランドに行きました。そこで印象的だったのが、トレイルづくりの体験です。

ニュージーランドでの冒険体験プログラム。トレイルの道をつくる河合さん

トレイルがあるということは、誰かがその道をつくっているということですよね。森の中に道をつくると、
それまでの風景が変わっていく。とてもきれいな自然の中に一本の道ができ、人が入りやすくなる。

その時に、「野外活動は、自然に手を入れることの上に成り立っているんだ」と気づきました。
自然の中で活動することが好きだったからこそ、自然とどう関わるのかを考えるようになり、環境教育への関心が広がっていきました。

米国でヨセミテプロジェクトに参加した河合さん(最前列右端)

――その気づきが、卒業後の進路にも影響したのですね。

河合:
はい。その後、アメリカの自然保護学校に実習生として行く機会をいただきました。
そこでは、基本全て野外で行われる色々な授業が行われていて、例えばアウトドアのプログラムもあれば、環境を調べる活動、鍛冶屋体験などもある。
一見バラバラに見える活動でも、それぞれが自然や暮らし・環境とつながっているんです。自然、野外、環境という日本では別々に見えていた分野も、自然保護学校の中ではカリキュラムとしてつながっているのを体験することができました。
日本に戻った後は、山梨県の公益財団法人 キープ協会で、教育事業部のスタッフとして働きました。後に環境教育事業部という名前に変わる部署です。当時、日本でも自然学校をつくろうという動きが高まっていた時代で、環境教育の分野に仕事として関わることができました。

新潟へ。地域の中で実践を続ける

――その後、新潟へ移住されたきっかけは何だったのでしょうか?

河合:
はい。公益財団法人 キープ協会で知り合った連れ合いが新潟県出身で、
新潟で自然環境に関わる仕事をすることになりました。それで結婚を機に新潟へ移住しました。
海外に行けば行くほど、日本の自然や文化を知らないなとも感じていました。自然に関われるフィールドが自分の中にあれば、
場所にはあまりこだわりはありませんでした。新潟に来てからも、講習会や講演会のお手伝い、社会教育指導員としての活動などを続けました。
その後、子育てが始まり、自分の子どもと一緒にキャンプに行きたいという思いから、親子で参加できる自然体験の場もつくりました。
当時は、まだ「森のようちえん」という言葉もなく、幼児向けのキャンプも少なかったので、
保育士さんや子育てをサポートしてくれる人に入ってもらいながら、親子で参加できるプログラムをつくっていきました。

――ご自身の子育てと、環境教育の実践がつながっていたのですね。

河合:
そうです。当事者だからこそ、子育ての中で何が必要なのか、何が足りなくてみんな困っているのかがリアルにわかりました。
研修に行きたいけれど子どもがいると行けない。だったら保育室をつくろうとか、
兄弟がいるなら下の子を見てくれる人がいれば上の子と遊べるなとか。自分の子育ての延長に、地域での活動が広がっていったようなところがあります。

巻き込まれるように始まった越の里山倶楽部

――そうした活動の中で、越後丘陵公園の利活用検討委員会に関わることになったのですね。

河合:
そうですね。当時はいろいろな検討委員会や審議会に呼ばれることがありました。越後丘陵公園の利活用検討委員会もそのひとつでした。

最初は、数ある委員会のひとつという感覚でした。でも、「里山は地元のNPOが担った方がいい」という話になり、団体がないなら自分たちでつくろうということになりました。

他のメンバーの方々は、すでにそれぞれの場所で中心的に活動されている方たちでした。
私はその中で一番若かったので、「君がやりなよ。僕たちも手伝うからさ」という感じで、少し乗せられたというか、巻き込まれたというか。

――気づいたら中心にいた。

河合:
そうですね。設立総会も開いたし、もうやるしかない状態でした。
でも、それぞれ専門性があり、すばらしい方々が関わってくださっていました。仕事ではないところで、皆さんが意見をくださったり、手伝ってくださったりする。それですごく助けられ、活動を進めるモチベーションになりました。

里山は、手を入れることで守られる

――このフィールドを持ったことで、活動の見え方は変わりましたか?

河合:
大きく変わりました。体験プログラムをつくることは以前からやっていました。
でも、そのプログラムを行うためのフィールドを整えることは、自分一人ではできません。
草刈り、チェーンソー、冬期間の管理、田んぼなら田植えの前に畦塗りや田起こしなどたくさんの準備があります。
自然観察でも、この花を見てもらいたいと思ったら、その花が見えるように周りを管理しなければいけません。

――ただ自然を残すだけではなく、どう手を入れるかが大事なのですね。

河合:
そうです。たとえば早春にギフチョウに出会いたいと思ったら、そのギフチョウが卵を産みつける特定の植物が必要です。
そして、その植物があるエリアはギフチョウの幼虫が育つまでは草刈りをしないでほしい。
そういうことを、園内整備をする方にストーリーとして伝える必要があります。
昔の里山の生活の中では、山菜の採り方や間伐の仕方など、暮らしの中で当たり前に知られていたことがあったのだと思います。
でも今は、生活のためではなく、里山の活動から里山のことを学ぶためにフィールドをつくることの大切さを感じています。

「くる楽しい」という楽しさ

――国営公園は、英語でいうとレクリエーショナルパークなのですね。

河合:
はい。国民の皆さんが楽しめる場所をつくるための公園です。でも、「楽しい」って何だろうと思うんです。
お花がきれいで癒される楽しさもあります。でも、田んぼの生きものがたくさんいることが楽しいと考える人もいる。
田植えは大変で、時には暑くて苦しい時もあるけれど、終わると「頑張ったな」「きれいになったな」「今年の秋の収穫楽しみだな」と思える。私はそれを「くる楽しい」と言ったりします。

――苦しいけれど、楽しい。

河合:
そうです。泥で汚れる気持ちよさや、作業の後の達成感もあります。
楽しさには、いろいろな形がある。そういう多様な楽しさを見つけられる公園であるといいなと思います。

センス・オブ・ワンダーを次の世代へ

――これからの活動について、どのように考えていますか?

河合:
これまでの20年は、昔の里山を知っている人たちに教えていただく時代だったと思います。
これからの20年は、それを形にして次につなげていく時代なのかなと思っています。

里山には、自然だけでなく、食べもの、道具、地域の信仰(神様)・伝承、人の役割など、暮らしと結びついた知恵があります。
でも、それは文章やマニュアルになっていないことも多い。そうした知恵が、知られないまま消えていくのは大きな損失だと思います。

――河合さんを自然に向かわせ続けている魅力は何でしょうか?

河合:
自然は毎年季節が巡ってきますが、同じ年はありません。同じ自然はなく、それに一緒に歩く人によって発見できるものも違います。

「センス・オブ・ワンダー」という言葉があります。自然の不思議さや神秘さに目を見張る感性、という意味です。
何気ないものに「わあ、すごい」と驚けることは、人生を豊かにしてくれると思います。
自然を見る時も、名前を知ることだけではなく、「あの鳥、きれいな声だね」とか、「あの花、あんな高いところに白く咲いているね」とか、そういうことに気づいて楽しくなる気持ちが大切だと考えています。

私は東京で育ったので、里山の知恵をたくさん持っているわけではありません。
でも、それが面白いと感じる気持ちはあります。だから、未来の人に期待して、里山の知恵と楽しさのバトンを渡したい。
ここが、そういう人たちが育つ場所になればいいなと思っています。

――越の里山倶楽部では、会員やボランティアも募集していますよね。

河合:
はい。公園の里山の活動を一緒にやってみたい方、昔やっていた里山の体験を思い出したい方、
自然や里山の文化に関心がある方など、いろいろな方に関わっていただければと考えています。
活躍できるフィールドは、目の前に広がっています。ぜひ関わっていただけたら嬉しいです。

 

河合さんのインタビューはYouTubeでもお楽しみいただけます!
記事にできなかったお話もたくさん!ぜひご視聴ください。